愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

ポリシー貫き通した、軍神、謙信


GACKT謙信のこのセリフはカッコイイですね。
「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。」
出陣前に大将にこんな感じで鼓舞されたら、士気上がりますよね。
戦国武将がビジュアル系の必要はないと思うんですが、結構武将ってオシャレなんですよね。鎧兜にはそれぞれ個性を出し、それどう見ても機能的じゃないっしょ?てなデザインもあり。出陣前には香を焚いて身に纏う。
攻撃でボロボロになるし血は浴びるし、戦闘着にファッションもへったくれもないだろ〜って感じだけど、やっぱそこは死に装束になるかもしれないし、なんといっても舞台に立つ自分の晴着として身に纏い、テンション上げていかんといけないしな。とにかく戦国武将は美意識が高いことに間違いない。
やっぱ人間死ぬまで身だしなみには気を配りたいね。


上杉謙信長尾景虎)は越後の虎とか龍とか呼ばれた、実は戦国時代最強の武将と評されているんですね。
なにしろ70余の戦で負けたのはたったの2回。彼には天才的な戦の才能があった。
幼少より頭が切れ力も強く、年上の子どもとばかり遊び、気性は荒く、手がつけられなかった謙信を父親が寺に預けたのだ。謙信7歳。
謙信は四男だったので、家督争いを防ぐためにも当時、跡取り以外の男子が寺に預けられるのはよくあったこと。
謙信は寺でも墓石を倒したり、寺男とタイマン張ったりしてたが、父親が死んだ知らせを受けて、人が変わったように禅と仏教の修行に打ち込むようになった。
ところが長尾家の長男、晴景は病弱でもあり才覚に欠け、周りの豪族から反乱を受け、国を治めることが出来なかった。そこで、謙信が寺から呼び戻されたのだ。謙信14歳。
わずか14歳の元服したばかりの謙信は、見事に反乱を制圧。当主となる。
だが、その謙信も繰り返す豪族の反乱や家臣の反抗に嫌気がさし、出家すると屋敷から出て高野山に篭ったことがある。
謙信不在で実際困った家臣が、謙信に頼み込んで呼び戻す。その後家臣達は謙信に反抗することなく忠義を尽くした。
それにしてもこの人によく家臣がついていったと思うんだよね。
戦国武将の中で、謙信のようなタイプは他にいない。
なにがっていうと、こんなに勝ち戦を繰り返していながら、領地が全然拡がってない。
これは他の戦国大名もだが兵農分離をしていないから。戦から引き上げた後戦利地がすぐに取り返されてしまうということもあるが(農繁期には戦をやめて領土に帰らなければならないため。信長は武家の次男以下を金で雇い職業軍人として年中戦の出来る体制にしていた。)謙信自身が領土欲のない武将だったから。
恩賞も少ないのによくこの社長に社員がついていったなって。


毘沙門天信仰」
では何のために謙信は戦ったのか。
「義」のためにです。
謙信は自分から相手を滅ぼそうと戦いをしかけることはなかった。
攻められて困っている、助けて欲しい、という他の国の要請を受けて、「ではお助けしんぜよう。」と兵をあげた。頼まれると嫌とは言わない義侠心の塊の男。
戦そのものが好きだったのだと思います。
勝手に体が動くというか。
自らを「毘沙門天の化身」として、戦に立っていた。
出陣前には毘沙門天を祀ったお堂に篭り、祈願した。
我こそは軍神ナリ!勝利を与えたまえ!
武田信玄との一騎打ちのシーン、有名ですが、普通大将が単騎で敵の本陣に踏み込むなんてしない。
毘沙門天と思い込んでますから。
信長が第六天魔王と人から呼ばれ気に入って自らもそう言ったのとは違う。
思い込みの激しいヤツ、そしてたぶん容易にトランス状態になれる人だったんでしょうね。
なんとなくわかる気がします、ハニーには。そんなところが多少ありますからね(笑)。
きっと部下にはカリスマに思えたことでしょう。


「敵に塩を送る」
このことわざは謙信由来です。
ライバルの武田信玄が治める甲斐の国は内陸で塩が取れない(外国なら岩塩が取れますけどね)、そのため今川その他諸将が「塩止め」という制裁を加えようと、謙信にも呼びかけたところ謙信は、
「それは卑怯だ、塩止めをすれば困るのは甲斐の民だ。信玄には戦で勝つゆえ、塩をお見舞いする。」と塩を送ったとされる。(実際には越後を通し甲斐に塩が入るようにしたり、また他の国が高値で甲斐に売りつけようとするのを防ぐよう取り計らったり、商売として報酬は得たのだが)。
現代では塩分の取りすぎは高血圧他の病気を招きますが、生物にとって塩は必須ですからね〜。
信玄が臨終の時、息子の勝頼に
「わしが死んだら、謙信を頼れ。あの男は頼まれたら決して嫌とは言わぬ。あのように信頼出来る男はいない。」と言った。
長年敵として戦ってきた相手からそこまで言われる謙信って凄いヤツ。
さらに信玄が死んだ時、家臣が「殿、今が武田を滅ぼす好機!」と出陣を上申したが、
「まだ若い勝頼を、今攻めるのは男のすることではない。」と攻めなかった。


「謙信女性説」
毘沙門信仰は婚姻を禁じられていたので、謙信は生涯妻も側室も娶ることなく独身を通した。毎月10日前後に腹痛があって戦いを避けたことや、その他の諸資料から謙信女性説があるが、どうだろうかな。
思うに、7年間も仏門修行をした謙信って中身は僧侶だと思う。
もちろん戦国時代は坊主も武装していたし、謙信も寺で兵法を学んだ。
だけど信心深い人物には間違いない。
刷り込まれた信念を曲げて生きることは難しい。それだけだと思う。
ハニーは今まで信仰を持つことには抵抗があった。インチキ臭い新興宗教が社会にはびこっている影響もあるけど、人の考えをそのまま鵜呑みにしたり、マインドコントロールされたりするようなのってどうよって。あと宗教団体というか、付き合いが性に合わない。
でも自分の中で、なにかしら根っこのようなものは持ちたいと思ってる。
そのうち宗教については(世界観)深く学んでみたいなあ。
謙信は寺で数々の教養も身につけた。笛とか琵琶も上手かったんだよね。
ハニーもトライアスロンの次には楽器がやりたいな。
アスリートもいいけどアーティストもかっこええ〜。
やりたいことがとにかく次々いっぱいあってたまらない(笑)。


謙信が小坊主の時、住職に尋ねたらしい。
軍神像は仏のくせしてなんでこんなに恐い顔をしているのかと。
ハニーも思ってました。
「この世の悪を懲らしめるために、姿は恐ろしい、しかし心は仏なのです。」
それを聞いた謙信は
「人の上に立つものはそうであるべきだな。」
と言ったらしい。
大人びてますね。
どのような道を歩んで、さらにまったく同じ環境にいたとしても、どう感じ、どう過ごし、どう吸収するかで人によりまったく違う人生になるんだろうな。