愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

自分を向上させてくれるものを持ち続けていたい

aka-madoneさんがトライアスロンとロードレースの違いについて考察していた。
http://d.hatena.ne.jp/aka-madone/20130910/p1 :ロードの鬼とトラの鬼
的を射ている。


ロードを極めている人からみて、トライアスロンにおけるバイクの乗り方や取り組む姿勢に対して一言物申したい、それは当然のところだろう。


倉トラ連覇の高橋選手については、ロードのエリートの人達も走りを認めている。
彼はデュアスロントライアスロンにおいて一流選手である。
バイクにおいてはソロ練習がほとんどであるだろうが、いわゆる土俵の違うロードレースにも出場し、上位の成績を残している。その度胸というか、実力はものすごいと思う。
入賞、いや優勝を勝ち取る気迫についても、血気迫るものがある。
一般選手と比にならないほどの。


トライアスロンはカテゴリー分けのない、つまりパフォーマンスレベルにおいて、玄人と素人が混在する競技だ。


これはトライアスロンの発祥に起因する。
遠泳とロードレースとマラソンの中でどれが一番過酷か。
うーん、どうだろう?なら、まとめて全部をやってみよう。一人の人間で。
つまり、「やれるのか」というところから始まっているのがこの耐久レースであるトライアスロンだ。
もともとがね。


aka-madoneさんが考察しているように、完走のために「自己マネジメント能力」を要求されるスポーツなのだ。
そしてこのトライアスロンというスポーツにおいては、最低限「完走」は当たり前のことである。
「完走」するための準備を自分に課すのだ。それぞれの選手が。
だから「完走」できなかったときの敗北感はなんともいえないもので、次のシーズンまで引きずってしまう強さだ。


私は今年初めてロングのトライアスロンを全過程経験した。(去年バイクタイムアウトに終わってしまったため)。
ロングは理屈なくしんどかった。
しまいのほうには、ペース配分やら自己マネジメントのかけらもなく、ただひたすら必死で本能むき出しだった。
まっ、レベルが低いだけなんですが(笑)。


そういった点で、勝敗にこだわる(ふるい落とされるロードレース)も完走にこだわるトライアスロン(完走が大前提)も違う厳しさがあるんではないですかね。
つまりは、人間追い詰められた時「本気」出すってことです。


で、ロードのエリート(その代表:塾長、笑)の人がトライアスロンを観戦すると、
「ステージに上がってる以上本気出せや!」
とほとんどの選手に言いたくて言いたくてしょうがなかったと思います(笑)。


これ以上なしというところまで本気出す(勝敗にこだわる)のには、強い動機がいると思います。
話はもどり、高橋選手については「絶対に地元大会で連覇を成し遂げる」ということだったと思います。
「頂点に立つこと」自分の絶対的価値感であり存在価値だったと思います。
そこから降りるわけにはいかないのです。
厳しい立場です。
一般の人にはここまでできません。
もちろんどんなスポーツでも、強くなり、勝つためには、強い動機とどれだけ自分を追い込めるか、というところに変わりはないと思います。


歳を取ると人間しぶとくなります。
「粘り」こそが取り柄となります。
エンデュランス系スポーツが生涯スポーツといわれる所以ですね。
運動歴がなく、身体能力が備わっていなかった私でも、完走という栄光を与えてくれたトライアスロンというスポーツには感謝しています。
他人との勝敗や順位のみが絶対的価値観ではない、というのがこのスポーツの魅力なのです。
目標達成のために、諦めず、コツコツとマイペースにですが自分を鍛え続け、自分の人生まるごとマネジメントしながら、ライフワークとしてトライアスロンを続けていきたいと思います。
「自分を向上させてくれるもの」を持ち続けていたいのです。どんな形であれ。