愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

2012を振り返って

2012年もカウントダウン。
今年を振り返ると・・・。
トライアスリートのはしくれとしては、何一つ業績を残すことは出来ませんでした。
フルマラソンサブフォー(吉備路)達成ならず。
ロング(皆生トライアスロン)初挑戦、バイクタイムアウト
ウルトラマラソン(児島)リタイヤ。
実際のところ、アスリートとしては下の下です。


でも、「挑戦した自分」は残りました。
だから自分を責めてはいません。


私、トライアスロンやマラソンのどこが好きなのかというと、
老若男女が一斉にスタートして、ゴールを目指すというところなんです。
よく聞かれるんです。
トライアスロンって、男と女の人、別々に争うんでしょ?」
「違いますよ、種目別順位で別なだけで、スタートもゴールも関門も同じ条件ですよ。」と答えると、びっくりされる。
運動能力や体力だけでなく、練習量や経験、コンディション、精神力、運も試され、結果につながるこのスポーツ、年齢や性別や見た目が強さを左右するわけでもなかったりする。
言った事ないけど、実は私、男だったら、ボクシングをやりたかった。
ボクシングって要するに喧嘩をルール化したもんでしょう。
本性むき出しの。
もちろん女子ボクシングというのもあるけど、このスポーツ、男の聖域って感じがするんですよね。
どうも付随してできたって感じがするんですよね。
女同士の喧嘩ってのは、どうもキイキイキャアキャアしてて、性にあわないなあ。
芸能人のしずちゃんとか、がんばってる女子選手に対して、失礼な気持ちで言ってるつもりはないです。
大抵のスポーツ、筋力・体力差のため、同じステージでは男女別にしなければ、争えないわけですよね。
ところがトライアスロンとかマラソンってのは、その境界がないってわけだ。
男も女もおんなじ人間、おなじチャレンジャーじゃんか。
だからマラソンとかで種目別順位だけで総合順位が出ない大会があるのは残念なんだよね。
実際同じ種目に挑戦したすべての人間の中で、自分が何位なのかを知りたい。
弱いくせに言うんだけど。


今年、皆生トライアスロンを完走出来なかった原因として、
実力のなさ、
練習不足、
取り組む姿勢の甘さ。
すべて伴っていなかった。


ただ、自分で言うのもなんだが、運動歴もない、一介の主婦が、
このスポーツのスタート地点に立つまでだけでも、それなりに、大変なことだった。もちろんまわりのおかげなんだけど。
自分は、いわゆる通常のトライアスリートと比べ、大人と子ども、優等生と落ちこぼれぐらい、レベルが違うとわかっている。
だから、完走のためには、人一倍、練習しなくてはいけないことも。
でも、実際には、最近ではコンスタントな練習時間が取れないばかりか、体調まで壊したままだ。
決して言い訳ではない。
私の立場では、このスポーツは、きっぱりやめるのが賢明だ。


今年の抱負として、漢字一文字で「真」を選んだ。
自分らしい年にしよう、という意味を込めて。
そういう意味で振り返ると、そのとおりの年だったなと。


人間は、人生に、安定と同時に、刺激を求める。
刺激というのは、いわゆるスパイス、カンフル剤で、
私にとっては、トライアスロンがそれだった。
非日常的なものであり、新鮮なものであり、自分を証明するもの。
何の銭にもならないが、確かに、自分を変えてくれた。
20代とかの若い時なら、スパイス、スパイスだけでもいいんだが、やはり一定の歳になると、安定あっての刺激であってはじめて価値となる。落ち着いた日常の上での刺激。
つまり、日常でやるべきことは、やった上で、次に、
やっとトライアスロンに使う時間が持てる。
トライアスロンのことは好きだけど、
トライアスロンに縛られたくない。


それでもって、ロングのトライアスロンに挑戦するわって、アホかって話だけど、
します。
不思議と、自分にやれる気がするんです。
ただ、来年絶対リベンジとか、思い上がった言い切りはしません。
本気で目指すことに変わりはないですけど。
身一つだし、スーパーマンじゃあるまいし。


「完走するまで、じぇったい、やめません。
 あなた(皆生)が、好きだから。」
なんかこんなドラマありましたよね。(101回目のプロポーズだっけ?)
こんな感じ。


妥協はしません。
一番好きな人を諦めて、無難に二番目の人にプロポーズなんて、こんな失礼なことないでしょ。
当たって砕けるほうがマシ。


自分にだけは嘘つかずに、正直に生きたいですから。
何事も。
真の自分で。気持ちだけは。何にも支配されず。
目標は、目指す自画像に直結させるものでありたい。


もし、皆生トライアスロンが完走出来たら、これからの人生、今より自分に自信を持って、歩いていけるような気がする。多分。


死亡届を出さず、はたまた本人の意思に反してまで延命処置を願い出て、親の年金に頼って暮らす人。
わざと離婚して、母子手当てで暮らす人。
日本の保障が国民の自立を奪った。
霞を食って生きれるわけでもなく、破綻しつつあるものに、根拠のない、いったい何に依存して生きるの?
政治家次第ではない、国策でもない、国民一人一人が、地に足をつけて、自力で踏ん張り生きることこそ、
国力なのだと思う。


今年もお世話になりました。
自分にとって、ほんとうにいい年でした。
皆様、よいお年を。