鳴かなくても
戦国武将の性格をあらわすのに用いられる、あの有名な言葉。
信長「鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス。」
秀吉「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ホトトギス。」
家康「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス。」
あなたはどれですか?
私は、そうですね〜、どれでもないです。あえて言えば、
Honey「鳴かぬなら、飼ってやんないわ、ホトトギス。」
もしくは、
「鳴かぬなら、逃がしてしまえ、ホトトギス。」かなぁ。
だって、鳴かないからといって殺すなんてかわいそうだし、第一自分の手を汚すのヤでしょ。
鳴かせてみせようたって、嫌がってるものに、つまり自分がコントロール出来ないものに労力かけるのヤでしょ。
鳴くまで待とうって、そんな暇ないでしょ、飼うとなるとコストもかかりますし。
たぶん現代人の多くは、
「鳴かぬなら、関わらないぜ、ホトトギス。」なんじゃないかな。
とにかく、あんま、リスクを背負うことしないですよね。
でもそれってどうなのかな。
リスク背負わないとリターンはないでしょ。
例えば、
「自分は異性に本気で愛されたことがない。」
と言う人いるけど、そうゆう人ほど、本気で相手を愛したことがない人だと思う。
たぶん中途半端にしか、相手を愛したことがない。
だから中途半端にしか、相手に愛されない。
無償の愛を注がずに、相手には無償で尽くしてもらいたい。
形に表してほしい。
相手を完全に自分のものにしたい。
そんな自己中の人が多い。
つまり、ホトトギスは鳴かなくても価値のある存在で、
「鳴かぬなら、鳴かなくていいよ、ホトトギス。」
と言ってやれる人が、愛する能力がある人かな。
ホトトギスのほうは、鳴きたくなったら言われなくても勝手に鳴く。
ストレス下にさらされなかったら。
自分の得意なとこ魅せたいし。
美しいとこみてもらいたいし。
相手を好きだって声に出したいし。
やっぱ、下心みせずに気長に待つことですか。
そして自分を磨き続けることですね(笑)。