愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

生き恥を晒せ

今私達が生きている現代って、一見泰平の世のようですが、問題山済みを認めたくないかの如く、臭いものに蓋、表面だけを美しく整えているだけに過ぎない、そんな時代だと思いますね。
大きな問題からは目を背けたくなるのが人情。なるべく責任から逃げたいのが人情。
なんとかなるさ、と楽観的に過ごしたいのが人情。
でもなんともならないんだな。未来をつくるのは今なんだから。



で、生きる真剣味ということを考えた時、参考になるのが戦国時代なんですよね。
何しろ一日一日が、一刻一刻が、命がけですからね。
夜襲を受けることもあるし、常に枕を高くして眠れないわけです。
生き残りを賭けて、裏切り当たり前、昨日の味方は今日の敵。
死を意識するから、今この瞬間を意識する。
命かかった日々。そこまで追い詰められれば、そりゃ真剣になりますよね。
まあ実際そこまでの必要はないにしろ、人生の価値って長生きすることではなくて、いかに充実させるかってことだとは、常に思ってます。



好きな武将をあげると、南北朝時代の智謀の将、楠木正成ですね。
新興の地方豪族であった彼の戦い方は当時画期的でした。まさにプロの戦闘集団。
少数の軍隊で大軍をどうやってやっつけるか。少なくとも本命の陣地に来られないよう敵を引きつけて時間稼ぎしたり、なるべく敵の被害を大きくしたり、退陣に追い込ませたりするわけです。
その方法。
まず砦として簡易な山城を築く。
敵は攻めあがるまでが大変ですよね。
上からは見通しが良いわけですから、攻めて来た敵に弓で一斉に攻撃をしかけ、一網打尽に出来ます。
さらにいろんな仕掛けがあるんですよね。
攻め上ってきた敵が先端に引っ掛け金具がついた投げ縄を塀に引っ掛けてよじ登ろうとするわけだけど、
その木製の塀が落ちる仕組みになってて、兵士は落っこちるわけです。
さらに石ゴロや丸太を上からどんどん転がすんです。弓矢と違いローコストですねー。
そして最後になんと肥溜め(糞便)を上から投げかけるんです。
こりゃたまりませんねー。
と、ここまでは山城の利点。さっさと勝戦に持ち込み、砦も焼いて始末しちゃえばいいんだけど、
欠点として、山城は兵糧攻めに遭っちゃうんだなー。
敵は食糧到達のルートを経つ作戦に出る。
腹が減っては戦は出来ませんからねー。
兵士は皆、頬がこけゲッソリと痩せていく。
戦意を失ったところに、一気に敵が押し寄せ、おしまい。
何とか大将さえ生き延びれば再興も図れるわけですが。


しかし兵糧攻めにあった時ってのは、馬食ってくんですねー。
戦に絶対必要な馬をですよ。
「あと何頭残ってますから、あと何日は生き延びられます。」ってな感じで。
役立ってきたかわいい馬をか・・って思うけど、人間でも後がない状況と判断すれば切腹したり互いに刺し違えたりして果てるわけですから仕方ないかな。
まあもっと言えば、死を選ぶのが美徳の戦国時代と比べて近代の戦争下では、死んだ仲間の肉を食って生き残った話もあるわけですからね、とにかくサバイバルですね。


あと新田義貞も好きですね。
彼は足利尊氏と同じく源氏の血を引き継ぎながらも田舎武士、不運・愚直な武将と語り継がれているけど、武士らしい忠義がある、男らしい武将だと思います。
尊氏のように温室育ちの優遇を受けていなかったからこそ、反骨精神を持って生きれたわけだし。
尊氏のように政治力がなかったのと、楠木正成同様、後醍醐天皇に仕えたのが不運だったな。上司が悪くて討ち死にした例は多いけど、負け戦と分かっていながらも、もともと戦って死ぬのが武士と心得、立場を保つことにより、仕事を全うする、てのも
自分に嘘をつかない生き方だよな。
さらに義貞の最期はすごい。
あれだけの名将が、最期に泥田で矢を射られ討ち死にするわけだけど、敵に首をはねられる前に自分で首を刀でかっ切るんですよね。壮絶な死です。
戦いは時の運もあるわけで、討ち死にしたってことは最期まで現役だったってことなんだから、恥じゃないですよね。
大体大将自ら敵陣に飛び込むくらいでないと、部下の士気は上がりませんよ。
他にも戦国の世、切腹のあとさらに自分のはらわたをちぎって敵に投げつけたりした武士もいたけど、すごい意地ですね。


最期がすごい武士で他に思い当たるのは石田三成ですね。
関が原の戦いで敗北するも、最期まで豊臣家再興を願った三成。
六条河原の刑場に向かう市中引き回しの際、
「喉が渇き申した。湯をもらえまいか。」と監視人に言う。
監視人は「湯はないが干し柿があるので代わりに食されよ。」と渡そうとするが、
三成は、
「結構。干し柿は体に悪いゆえ、食さぬ。」と断る。
周りのものは「これから死ぬものが体に気を使ってどうする。」とあざけ笑う。
すると三成は、
「ばか者。大義を思う者は、最期の瞬間まで命を惜しむものだ。」と言い放つ。
いよいよの時、斬首執行人に「最期に申すことはないか。」と尋ねられ、
三成は、
「お主に申すことなどない。」
と言った。
スゲー。なんちゅうふてぶてしいオッサンじゃ。私も自分でかなりのへそ曲がりだとは思うけど何枚も上じゃのぉー。
この毅然とした態度、生き方は下手くそだけど、媚びない生き方は真の侍じゃー。


時代は違うけど、まあとにかく、
どこに身を置いてどういう生き方をするにせよ、
社会や他人の妨害を受けず、いや負けず、自分の能力を最大限に発揮出来ることが、
人間の幸せなんじゃないかなって思う。生まれてきた限り。
自分が自分を妨害してるってこともある。心の中でね。
負けは恥でも失敗でもない。
頑張ってるんだから。


侍はかっちょえーとは思うけど、
現代人の私は、
「生き恥を晒すな。」
じゃなくて、
生き恥を晒して、生ききってやる。
恥を払拭するほどの自分への満足を、いつか得たい。