愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

リア充真っ最中です

こんばんわ。
猛暑が続いていますが、皆さん体調はいかがですか。
ハニーは仕事が残業続きでちょうど休養になり、皆生の後も体調を崩すことなく過ごしております。

ところで、トライアスロンって、中高年のリア充スポーツっていわれてるんですってね。
なんとなく図星な感じ。
だって実際、私自身、若い過去を振り向くことなく、今がまさに青春真っ只中って感じだし、エネルギーに満ち満ち溢れ(笑)充実してる。
トライアスロンを始めて5年と2ヶ月。
トライアスロン(他のスポーツでもかな?)を続けることにより日常生活で実感出来ること、それはもちろん基礎体力の向上、それと頭が冴えるというか、判断力が向上したことかな。とっさの決断も迷うことなく出来る感覚。優柔不断な自分がなくなった。
そしてなんといっても、胆力がついたこと、精神力が強くなりましたね。昔のようにくよくよする自分じゃなくなった。
目標を達成するために、自分の中にルールを持つようになった。今日これだけはやってから寝る、とかね。欲求とか惰性ではなく、ルールで自分を動かすようになった。
明日には取り巻く状況が変わり、もうトレーニング出来なくなるかもしれない、そんな危機感が、かえってモチベーションになった。
子どもの頃、シャレにならない運動音痴で、体を動かすことから逃げていた。
メインの趣味は手芸で、他にはデッサンをしたり、図書館で世界文学全集を端から端まで片っ端に読んだりしていた。
今ではそれらにまったく興味もないし、手芸道具なんて見たくもない(笑)。
やり損ねたことをしたくなるのかなー。人生タイムリミットに近づくと。それと苦手意識を拭いたいんだろうな、私にもやってやれないことはなかったんだと。
出来る限りのいろんな経験をしたいんですよね。生きているうちに。経験できることは限られているにしても、自分にもやり方次第で出来るんじゃないか、って思いついたのがなぜかトライアスロンだったんですよね。
今年も皆生大会を完走出来て思ったこと。
トライアスロン(ロングディスタンス)についていえば、パフォーマンス、練習量、それに人生経験が加味されると思うんですね。
私など、パフォーマンス、練習量が他の選手の方に敵うわけがないので、どうして完走出来ているかというと、今までの人生経験だと思うんですよね。
とにかく、こうして耐久スポーツやってるかぎり、粘って粘って最後に勝つ、これからもこれを人生のスタンスにしたい。

トライアスロンは好きなんだけどねぇ、金持ち主義的なところや(実際コスト高)、バイクが機材戦になっているところや、
アイアンマンの称号にこだわったり虚栄心を満たすスポーツみたいなところは嫌い。
完走した、で?それがどーしたって感じにみえるのではなく、おっ、なんかコイツ、滲み出てるよ何かが違う、みたいな人間になりたいなぁ、せっかくエライ目してるわけだからさぁ。

トライアスロンは、健康維持レベルを超えているスポーツだと思う。だってどう考えても体に悪いでしょう。特にロング。
なぜするのかって?
これ前々から思ってたんだけど、坊さんの修行みたいなもんだと思うんですよね。(生臭坊主じゃなくて高僧の)。
朝3時に起床して、お経を読む。
その後午前中は、掃除、薪割りや畑仕事など野良仕事。
午後は托鉢。
21時までお経を読む。それから寝ていいことにはなっているけど、
0時までお経を読んだり仏典の勉強を半強制的にするのが実際。
風邪でも引いたもんなら先輩から修行が足りないと激しく怒られる。
そんな日々死ぬんじゃないかと思ったが、実際死にはしなかった、みたいな。
そうするうち、勤めが楽に感じられるようになり、悩むこともなくなる。
あーこれだと。極限に自分を置いた時、初めて気づいたり分かったりするもんだと。
やらなきゃいけないと決まったものなら、腰を据えて取り組め、集中しろ、極めろ、楽しめ。
温室状態に自らを置いている限り、目の前の出来事にいちいち反応し、文句を言い、悩み、羨み、まるで物事に対し反射・反応で生きる自分であるだろう。
トライアスロンをしている今の自分は・・・
フルタイムで仕事して、家庭も維持し、さらにトレーニングをして、出来る限りのことはしたが準備は不十分、とうとう本番を迎え、やれるだけやろうと度胸一番星で臨む。その繰り返し。
タイムはどうであろうが完走出来たとき、トライアスロンは強い達成感を感じることが出来る。
日常生活でこの強い達成感を感じられることはまずない。
もしもトライアスロンを知らなかったら、仕事に、家庭に達成感を求め、ささやかな満足感ともいえる達成感で満足しようとしていたかもしれない。だが、トライアスロンを始めたことにより、
365日のうちのこの1日(大会当日)が、あとの364日を楽に感じさせるように、
辛いことも苦しいことも乗り越えられる自分であると、自分に言い聞かせることが出来るように、
ほんの些細なことが、笑いや喜びの種になるように(ハッピーの感度を高める)、
そう感じられる自分になるためにしているんだ。

私のことを、意地を張って殻に閉じこもっているんではないかと心配してくれる人がいる。
確かに、少し前まで、つまらん意地を張っていたところがあったことを否定はしない。
だけど、断じて今はない。
なんと言うか、結局人間、性に合った生き方しか出来ない、ただそれだけ。
自然な流れ。

それと。
今年は20分タイムは落としたが、今年の完走も劣らず嬉しかった。
20分タイムを落としたのは、トレーニング以外の他のなすべきことを、一年間頑張った証拠。そう思えた。
私達はいつも競争の中で日々を生きているのに、
勝つことだけが成功と、何も自分を縛る必要はない。
やれることを、自分にごまかしなくやりきれば、何も自分に恥じることなんてない。
だから表彰台の箸にも棒にも引っかからなくても、続けていることを誇りに思う、そういうスポーツだとあらためて思う。
歳を重ねる毎に、自分に納得する、そんな人生を今後も歩みたい。