愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

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日本一の兵〜ヒノモトイチノツワモノ〜SANADA

ご無沙汰しております。所用で多忙にしておりましたが、元気に過ごしております。
すっかり春らしくなりましたよね。


さて、今日は真田信繁(幸村)についてです。

真田幸村は悲劇のヒーローとして若い人にも人気ですよね。
これ諏訪原寛幸さんのイラストなんですけど、めちゃイケメンに描かれてますよね。
こんな男性いたらハニーはとてもほっておけません(笑)。
実際にはこんな感じ。

生き方がカッチョえかったら、見た目も美化されるんですね(笑)。
いやカッコよくみえるんですよね、やっぱ男は、いや人間は生き方ですよ!
2015の今年は、彼の死からちょうど400年なんですよね。


真田幸村のお父さん、昌幸が「表裏比興の者」といわれた凄い人なんですよ。
まさに戦闘のプロ。籠城戦をお家芸とするわけです。
第一・二次上田合戦で真田軍は寡兵ながら徳川の大軍に2度も煮え湯を飲ますわけです。
例えば、撤退を装って敵を城ギリギリにまで引き寄せておいて、櫓から丸太を落としたり弓矢で一斉攻撃を仕掛けたり。逃げようとする敵をあらかじめ築いておいた千鳥がけの柵(巨大迷路チックな)で立ち往生させたうえ、こちら側から柵に火をかけるとか。別働隊に横面から奇襲をかけさせるとか。あらかじめ築いておいた堤防で塞き止めておいた川を一気に決壊させて、敵の人馬を一挙に飲み込ますとかね、とにかく敵をパニックにさせ、最大の被害を与えるわけです。
この点、南北朝時代の楠木氏と似てますね。生き恥を晒せ - 愛の戦士 キューピーハニーの日記
戦国後期の時代は、織田、豊臣、徳川と統一政権が確立されていく中で、全国各地の中・小勢力が対峙するという問題もあったわけですね。統一政権に抗うか、従って家名を残すかという究極の選択です。真田家は実はそれを両方成し遂げた稀有な一族なんですね。
真田氏は武田、北条、徳川、上杉、豊臣と仕える先を渡り歩きます。しかしこれは、生き残るためにです。
有能な証拠です。過去の確執に囚われず、仕える先を選択しました。こういう真田の合理的思考が好きですね。
だけど日和見ではないです。真田氏は先祖代々の領土と領民を非常に大切にしました。戦国時代に領土が理不尽に取り上げられるということはよくあったことですが、これには強く反発、また昌幸にとってどうしても性の合わない家康に関しては絶対に屈しませんでした。例え不利でも。
それと、真田氏は治めている土地の領民から絶対的信頼を得ていました。城の築城も進んで手伝ってもらったり、農民に伏兵として活躍してもらったりとか。それもこれも籠城戦の時、普通は足手まといや兵糧不足に繋がり不利なのに、領民をあらかじめ戦前に城に招きいれて守るとか、不作の時は年貢を半分にするとかやってるからなんですよね。それと盗賊から守るとか。領主は警察的役割もありますよね。楠木氏もそうだけど、真田は忍者も上手く使っていました。とにかく人間的魅力、人望がないと人は仕えてはくれませんよね。


上田合戦で武名を天下に知らしめた真田氏ですが、結果は豊臣軍の敗北だったので昌幸と次男の幸村は高野山(のちに九度山)に蟄居させられます。家康は強く2人の切腹を望みましたが、昌幸の長男の信之の助命により免れました。
前後しますが、「犬伏の別れ」といわれるのですが、真田氏は関が原の合戦に際して、徳川方につくか石田方(豊臣)につくかで家族会議をしたわけです。そして、昌幸と幸村は石田氏に、信之は徳川につくことにします。勝敗がどうなっても家名は残るためです。幸村は石田氏の親友の大谷吉継漢の友情 - 愛の戦士 キューピーハニーの日記の娘を妻とし、信之は家康の養女(家康家臣本田忠勝の娘)を妻としている事情もあったからです。
ここらへん、嫁さんの実家であろうが、戦況によって同盟ホゴにして攻め滅ぼす戦国時代に真田氏って忠義ありますよね。というか領民を大切にすることなど含めて「家族」を大切にしてますよね。いわゆるいい人達ですよね。
話はそれますが、信之が父と弟の助命を家康に申し出た時、家康は烈火のごとく怒り決して許さんと言ったんですね。すると義理父の本多忠勝が「それなら婿と一緒にワシが殿を打ちますわ!」って言い放ったんです。それで家康は折れた。
それだけ信之が肉親と袂を分けてでも徳川に忠節を尽くした働きをしていたということだし、絶対者に諫言させるほどの舅の信頼を得るだけの人物だったということですね。実際松代藩として真田の血を信之は残し、長寿を全うしています。


いやそれでね。
真田氏のことで思うのにこの昌幸と幸村の蟄居中の話。
家康は昌幸の軍師としての曲者ぶりを非常に恐れていたので、厳重に監視させていたわけです。
生活も非常に困窮し、数十名の家臣とともに食うものにも困る生活。丈夫で結びやすくて美しい「真田紐」を開発して家臣たちと織って生活の糧にしていました。元戦国大名が内職生活ですよ〜。
領土を奪われ、領民の苦境も心配しながら、真田氏はくさりませんでした。
蟄居の狙いって、戦力とか反抗心を奪うためだと思うんですよね。
どうやって真田氏はモチベーションやパフォーマンスを維持したのかな。
厳重な監視中だし、戦準備を疑われるような下手なことは出来ないしな。どうやってコソ練しとったんかな。実際真田紐の内職中にも何を怪しげなことしとると幕府に踏み込まれてますからね。

ここらへん、日常生活が多忙でどうにもトレーニング出来ないとき自分をくさらせんための参考になります(笑)。


で、やっと幸村の話。
昌幸は蟄居中に「あともう数年でもワシを生きさせてくれたら、家康のヤツめに泣きっ面をかかせてやるものを。」
と言って息を引き取った。
その親父の精神をそのまま、幸村は引き継いだんだよね。
幸村にとっては、家康の秀吉亡き後の横暴ぶりがどうにも我慢ならんかったんでしょう、正直な性格だし。
蟄居中の幸村が豊臣家から支度金の約束付のラブコールを受けて、大阪冬の陣に出陣のため、14年間もの蟄居ののちに九度山から脱出(ここでも現地の民を味方にして協力を得る)。
ヒーロー登場。
家康は豊臣方に真田がついたという知らせを受けて、「親父か息子か?!」とビビリまくり。
家臣「親父のほうはとっくに死んだじゃないですか、殿。」
家康「あーそうだった、ホッ。」
ところが安心しとる場合じゃないんだな、家康のだんな。
幸村の智将ぶりは親父譲りなんだってば。


スペシャルゲストとして招かれた幸村だったが、大阪城に入ると古参連中から外様扱いされ、軍略意見通らず。
ほんなら招くな。
野戦を主張した幸村であったが、籠城戦と決定する。
しかたなく幸村は大阪城の唯一の弱点、南側に土塁で固め空堀を配した簡易な出城「真田丸」を築く。
案の定、幕府の大軍がここに押し寄せて来る。そこで真田丸から猛烈な弾幕射撃。幕府軍は大量の死傷者を出した。
敵軍からも賞賛された幸村の活躍後、実は徳川から10万石でスカウトされる、が、幸村は蹴る。
幸村のカッケー名言を紹介しよう。
「関東勢百万も候え、男は一人もなく候」(関東武者は100万人あっても、男は一人もいない)。
殿軍を務める真田勢に対し、へばって追撃できない徳川方諸隊の腑抜けぶりに対して言う。
力攻めは諦めた家康だったが、和平条件として惣堀を埋め本丸だけを残した丸裸の無防備状態の大阪城にしてしまう。


それにしても、大阪の陣に際し思いますね。
豊臣方が浪人の寄せ集め連合軍だとしても、命賭けて戦ってるわけですよ。
幸村が軍のモチベーションを上げるためにも大将の豊臣秀頼を出陣させるように何度も依頼したのに、母親の淀君が反対。淀君も戦国の世に翻弄された女性ではあるけれど、どうであれ、秀頼、おかんを振り切ってでも、現場に出ろや!家康は老体で戦線に出てますからね。
多くのもんが命かけとんじゃ、お前らのために。男じゃないんか。


大阪夏の陣。絶体絶命の窮地に陥り、もはや風前の灯火となった豊臣家の命運。
現状を打破するには、家康の首を獲るしかない。
壮絶な賭けに出る幸村。


「狙うは家康の首級のみ!」
幸村は真田勢3000の部隊を3つに分けて、絶え間なく繰り返し家康の本陣を急襲。
大軍に対して寡兵が勝つには敵が捕捉するのが困難なスピードで臨戦態勢が整う前に、敵陣を突破することが重要。
休むことなく怒涛の三段攻撃!
ついに家康本陣に到達。
鮮血にまみれた阿修羅の形相で怒声とともに襲い掛かる真田勢。
戦慣れした徳川の旗本連中もさすがに臆して逃走者相次ぐ。
本陣の馬印も引き倒され、家康も討死を覚悟。
だが・・・あと一歩及ばず。
幸村、命尽きる。


政治力を発揮するというよりも、純粋に武名を残した、これが真田氏です。アスリート的武将です。