愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

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日本の医療を思う

今日は準夜勤明けの休み。来週は加古川フル、ええかげんヤバイと
久しぶりに走ってみた。
鼻水は出るし、痰が絡んで呼吸は苦しいし、足は痛いし、さっぱりダメダメだった。
やっと再開したコソ練に限って63に見つかってしまい、クラクションをプップッと鳴らされる。チェッ。
まあ、そんなことは、置いといて。
私は見識もないくせに、狭い視野で、ブログで政治や情勢について語り、よくわかってる人からみると、赤っ恥をさらしているかもしれない。
だが、自分が携わっている医療について、常日頃から思っていることがある。
TPPが施行されると自由診療が進むことについて賛成か反対か。
ずばり、今の日本の医療は、延命治療で成り立っている。
100歳近いような、老衰で旅立とうとしている人に対し、昇圧剤を投与したり、心臓マッサージをしたり、人工呼吸器を装着したりする。
まだまだ、最善を尽くしてくださいと希望する家族もいる。
これは医者の説明が不十分なところもある。
大概は栄養状態の悪いところに、点滴を入れるもんだから、吸収されず血管外に漏れて、むくんだブクブクの体になって死を迎える。
人間、食べられなくなったら、終わりだと思う。
ところが、日本では積極的に経管栄養というものが行われている。鼻から、もしくは胃ろうといい腹壁から胃に直接穴を開けて管から流動食を入れる方法だ。
胃ろうは管理がしやすいため、ぶっちゃけ病院から施設に入所できるよう、必要条件として造設されている。
こうして、寝たきりの人は便を出す力がないので、便処置を定期的にしてあげれば、平均で7〜8年生きられると言われている。あと痰を吸引してあげたりね。
意思疎通の出来ない平均寿命をとっくに過ぎたこんな寝たきりの人が、日本の病院や施設にわんさか収容されている。
これはまだ日本の医療費システムに余力があるからで、我々が老人になるころは経管栄養なんて死語になっているだろう。
アメリカなんかでは、だいぶ前から、水分摂取をとめることによる尊厳死というものが認められている。
若者は水分を止められるととても耐えられないが、老人は水分の摂取自体が自然に少なくなるのにみられるように、停止しても苦痛が少ない。
水分摂取を停止して2週間で、苦痛の少ない自然な死を迎えると言う。
日本では、老人(老衰)の人の検査、治療を積極的に行う。
日本は、尊厳死に対する倫理観というものが遅れていると思う。
それもこれも国民皆保険があるからだと思う。
国民皆保険自体はすばらしい制度だと思う。安心して医療が受けられるからだ。日本の医療が世界トップレベルであるのもそのおかげだと思う。
しかし、老人医療の問題点として、病院の待合室で「今日は、○○さん来てないねぇ。どっか悪いんだろうか。」と比喩されるよう、老人のサロン化しているところや、無駄な薬漬け社会などの面がある。
私の今勤めている病院はおもに透析治療を専門としているが、これも延命治療とも取れるふしもある。
しかも透析費用というのは税金でまかなわれている。もともと腎臓の病気で透析導入になった患者さんは最近は減少傾向で、多くは糖尿病から腎症をおこし透析導入になった人がほとんどである。
はっきり言って、糖尿病自体は体質もあるが、状態を悪くした人というのはやりたい放題のわがままな人が多い。
生活保護を受けながら俺様根性で「患者にサービスせんか、コラ。お前らワシらで食わせてもらっとんだろうが。」
って感じ。
自分の身内なら、「なに甘えたこと言っとんじゃ、アホ!」と言うところだが、
最近では医療もサービス業なんで、こんな人にも優しく対応しなければならない。
確かにこうして収入を得ていることに対して矛盾も感じることもある。
体が病むと心も病んで、心が病んで体も病むのか知らんが、
患者さんというのは、気の毒でもあるが、本当に自己中心的で我がままな人が多い。
この仕事は肉体的疲労も多いが、精神的疲労というものが多い。
そう考えると、「働かざるもの食うべからず。(医療受けるべからず)」これ、原則かも。
というのは、実際高い健康保険を掛けている働き盛りの人が、病院に行き損ねて手遅れになるとかあるわけだし。現実的に、将来還元出来る現役世代は積極的治療をしなければならない。あと小児医療は十分に充実させなければならない。
そういう意味で、自由診療が進むのはいいことかも。
どうせガン治療なんて今でも高額だし。
ま、ブラックジャック並みになったら困るけど。