愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

第5回  児島半島港めぐり100kmマラソン

皆生をDNFの結果にしてしまい、この夏を不完全燃焼にしてしまった私を、やはりどこかで許せない自分がいた。
皆生の代用になるなんて思ったわけでもないが、なにもやらない訳にはいかなかった。
ウルトラへの出場を決意したのは1ヶ月前。準備万端とは言えないが、皆生のランを経験しなかった自分に、これくらいのことは、課してやってもいいはずだ。
この大会は、ウルトラ愛好者主催の公募なしの地元大会だ。補給も数台の車を移動させながらと、手作り感溢れた大会なのだ。
当日自宅を3時過ぎに出発し、鷲羽山ユースホステル前駐車場で4時からの受付をする。
このような通な大会に参加するランナーは、当然ながら私のようなまったくのウルトラ初心者という人はいない。話を聞くと他のウルトラマラソンを何回かは経験しているベテランの人が多い。
制限時間は18時間。100km(実際には102.8km)マラソンにしては余裕のある制限時間だ。それでも毎年3割のリタイアが出ている。
途中関門2箇所。貝殻山山頂51km地点13時(スタートから8時間)。玉原親水公園80km地点19時(スタートから14時間)。
5時スタート。暗い中ライトをつけての出発だ。
ウルトラは未知の世界だ。想像もつかない長丁場となるウルトラでは、最初から抑え過ぎるくらいで行くことが常識だ。
しかし、この時期の大会。日中にはかなり厳しい暑さとなり苦戦になるに違いない。だから涼しいうちに、ある程度は行っておきたい。
先頭集団でもスタートダッシュは思いのほかゆっくりで、私でもついていける。
海岸沿いの潮の馨りを受けながら、田ノ浦港、下津井港を過ぎ5km地点へ。K5.5。
早朝で涼しいと思いきや、異常に蒸し暑くじっとりとまとわりつくような嫌な汗に包まれる。
ここから先頭集団と離れ、マイペースを守る。5kmを少し過ぎたエイドでスポーツドリンクを摂取。なんとゼリードリンクまで用意してくれてる親切さ。朝食がやや軽めだったので「これももらっていいですか?」ともらい、持って走るのが嫌なのでその場で摂取。
走っていると、段々お腹が苦しく・・・。ああ、失敗だった。欲出して入れすぎた。まっ、ドンマイドンマイ、先は長い。
そうこうしてると、お腹は大丈夫になって、10km地点へ。K6.0いい感じだ。あたりはすっかり明るくなる。
15kmを過ぎたあたりで、どうにも出来ない生理現象が襲う。
コンビニに急いで入り、用を足す。自宅で軽量化は済ませていたのに。レース中にトイレに行ったのなんて初めてだ。フルならトイレ休憩は命取りかも知れないが、ウルトラなら行っとかない方が命取り。まだ街中でよかった〜。なにげにトイレだけ借りたのが気兼ねでドーピング効果になりそうな栄養ドリンクを購入し摂取。
時たま、すれ違い目にする選手もいなくなり、完全一人旅。
しかし、試走で大まかなコースが頭に入っててよかった。じゃなければものすごいストレスだろうな。
頑張った感あるわりにハーフの距離で2時間半もかかってる。あれ?
30km手前では、相当脚にきた。
最近はスピード練なしで「耐える脚づくり」だったにせよ、これは酷過ぎる。マラソンシーズンに向けて仕切りなおしだな。
ひたすら忍耐のランで30km地点のエイドまで来たが、なんと4時間近くも経過。マジで〜。
そうか、ウルトラマラソンはマラソンとはまったく別のスポーツなんだ。この感覚はトライアスロンの感じにほんとうによく似ている。
エイドはオアシス化。もうこうなったら、ダメージを最小限にすることだけを考えよう。しっかりカロリーと水分を補給し、スタッフとおしゃべりしながら、スポンジと氷で脚全体と頚部を冷やしまくったあとエアサロンパスをする。
信号待ちでは、ひたすらストレッチ。
金甲山登り口まで来た。40km地点でここ行かせる、いわゆるフルのゴール後にこれ行かされるなんて、なんて親切でマニアックな大会なんでしょう。
この大会は給水22ヶ所、コンビニ18ヶ所あるのだが、金甲山山中では、自分で水分補給の準備があったほうがいいと当日スタッフから聞いた。ハイドロバック、もしくはボトルホルダーを複数回参加の選手は用意しているよ、とのことだった。
しかし、大会パンフレットの写真を見る限り参加選手は軽装で何もつけていない人が多く、あのリュックを背負って背中ムレムレ感になるのが嫌なのと、ホルダーのゆれゆれするうっとうし感も嫌いなので、荷物はウエストポーチだけにしていた。
山に入ってすぐのとこと、山頂にエイドはあるのだが、すこし不安を感じて登り口ギリギリ手前の自動販売機で500mlのペットボトルを買う。持って走るがそれほど邪魔には感じない。ゆっくりペースのランだしね。
登りかけてすぐのエイドでスタッフから「女性でウルトラ挑戦なんてすごいですね。僕も去年この大会を完走しましたが、そのあと世界観変わりますよ、なんか自分が何でもやれそうな人間のような気がしてきますよ。」との話を聞く。
おいしそうなおにぎりが何種類もあったので、
「わ〜おいしそう。何にしようかな〜。」と選んでいると、
「やっぱり女性は違いますね。男ならここでおいしそうとか言いませんよ、何も考えず手をつっこんでどれでもいいから取りますよ。」
「もう1つもらっていいですか?」と催促すると
「え〜、僕この時点でバナナがやっとのことで食べられた感じでしたよ〜。食べられるなんてすごいですね。どうぞどうぞ。」
だって、お腹すいてんだも〜ん。
金甲山の山中を一人、終わった脚で、それでも気分は明るくなぜか笑顔になりながら、景色を見て、ペットボトルをブンブン振り回しながら走る。
山頂のエイドへ到着。ここでもしっかり補給して、脚のケアをして、トイレに行って出発。
ただ問題は、51km関門まであと1時間しかないこと。
今のペースで行くとあと7kmをそれで行くのはきつい。
貝殻山へはガチで向かう。
下っていると、一緒に参加している金甲山山頂まで向かう同じ職場のH事務課長とすれ違う。(エッチじゃなくて頭文字よ。)
課長は萩往還70kmや高梁マラニックを完走したウルトラランナーです。
「課長、急いで!関門まであと一時間ですよ!」
「おお、わかった!」課長ペースをあげます。
いや〜制限時間にしても関門にしても楽勝と思ってたんだけどな。甘かったな。
貝殻山に向かっていると、一度試走はしたとはいえ、目印が最小限なこの大会、道、間違ってないよな〜と不安になってくる。
いっぺん引き返したほうがいいかな、でもやだな〜とゆっくり行ってるとH事務課長が来る。ホッ。
ここから課長と一緒に走る。
貝殻山は金甲山と比べ距離は短いが、結構急な登りと下りを繰り返しながらで、この時点の脚には相当きつい。
下りはいいんだけど登りはやっぱりダメダメで課長に先行されついていけない。課長は登りでは歩いているのにそれでもついていけない。
私も登りで歩いてみたら、なんと走るのと変わらない速度の上に、膝のダメージも少なく済む為、歩くことにした。今まで歩くのは負けと先入観を持っていたが、この戦法が有効なことに気がついた。
しかし、いつまでたっても頂上への距離が縮まない。まるでキツネにつままれたようだ。
それでも2人、関門には意地でも到達しましょうと、貝殻山山頂に制限時間5分前到着。あ〜間に合ってよかった〜。
エイドで2人ともしっかりクーリングと補給を行う。
私は両足びちゃびちゃになるくらいに冷水で毎回クーリングをしていたので、靴の中の靴下が濡れてムレムレだった。このエイドで預けておいた予備の靴下に履き替えた。
「Kさん(ハニーの俗称)、わしなあ、この51kmの関門までこれたらまあいいかと思っとったんよ。まあ第一関門を突破出来たから、もう一踏ん張りして、萩で行けた70kmまで行くことを目標に頑張ろうと思う。」
次の関門80km地点目指して突き進む。
実は着替えの靴下もテーピング機能のあるものだったが、最初履いていたものよりつま先と踵の補強が弱く、指先の痛みを感じ、走り出して「まずい」と思ったが、引き返すことも出来ずそのまま進む。
しかしここからの約4kmひたすら急な下りが続き、脚にくる。
55km地点のエイドで休息。スタッフの人が主催者の義理弟さんで、身内から頼まれたので断れず(笑)、毎年ボランティアされてるそう。この長時間の大会をサポートする側はほんとうに根気がいる大変なお仕事で、もうこちらとしては感謝感謝です。
回収車に乗せられた体力に自信がありそうだった20代後半くらいのトライアスリートの男性とすれ違う。
ここからは、コンビニもトイレポイントもない山村が続く。
なのにこんなときに限って、もよおすんですぅ〜(泣)。しかも大のほうです(食べすぎか)。
もういっそのこと山の中に入って済ませたい。
事務課長が「女性は大変だもんなあ。」と気を使ってくれる。
あと2km行けば、公衆トイレがあるという情報をスタッフからもらい、必死で肛門を閉めて、爆発物がもれないように進む。
苦行です。
やっとトイレポイントに着きました。ああスッキリ。快感です。
こっからは恐ろしいことに5km進むのに50分〜1時間のペースです。
実はこの大会に参加前、制限時間ギリギリゴールなんてなるもんか、最低、皆生の制限時間14時間半で行ってやる!と臨んだ。
そんな思い上がった考えは吹き飛んだ。100km走ることがどんなに大変なことなのか。そして、皆生でバイクタイムアウトせず、ランにさえ行けてたら完走出来てたんだ!なんていう浅はかな考えも払拭された。
80kmの第二関門に到着することをひたすら信じて課長と二人三脚で進んでいく。大丈夫、十分間に合うペース。
「わし、ほんまに脚にきとる。特に膝と足の指が痛い。Kさんは?」
「私もきてます。脚の付け根から足先全体が痛い。両脚とも切って落としたいぐらいです。」
「心頭を滅却すれば火もまた涼しです。この痛さは当たり前のことだと思いましょう。」
「気持ちだけです。課長、気持ちで、脚をひっぱって行きましょう。」
「Kさんは、ほんとにガッツがすごい。わしはほんとに苦しい。好きとか楽しいとか思えない。」
「そうなんです。気持ちだけは誰にも負けないという自信があるんですけど、身体のほうが劣っていて、いつもいつも悔しい思いをするんです。」
課長、この時点で本当に辛そう。
「課長、75kmまで来ました。今までの最高距離更新ですよ。このペースだと約○分走れば、80km地点まで行けます。」
「課長、あと数時間走れば、栄光を手にすることが出来るんですよ。今までの苦しみが全部、報われるんです。もうすぐ、もうすぐです。ゴールしてお風呂に入ってさっぱりしましょ。」
「課長、もし100km完走出来たら、これからはフルがハーフ以下の感覚になりますよ、きっと。もう42.195終わり?チョロいな〜って。」
「もう、Kさんは。」
80km関門に50分の余裕を残して到着。
ところで、今回ウェーブジャージで臨んだ。私の単独出場だし、この練習量で完走出来るかどうかもはっきりもしないのに、ジャージを着る必要はないと思ったが、あえて着ることによりチーム員として恥ずかしい走りは出来ないと自分に渇を入れるためにそうした。
ウェーブジャージを着ていると、スタッフから「ウェーブって自転車のチームでしょ、ウルトラマラソンに出る人もいるんですね。」などと声をかけられた。
エイドのスタッフと談笑するたび、これまた自分に渇を入れるために、「当たり前でしょう。絶対完走しますよ!」「私の頭の中には完走の二文字しか思い浮かびませんね!」と言い切っていた。
ほんとうに、完走することは当たり前だと感じていた。
そうだった・・・。
すでに真っ暗闇になった81km地点で、しびれがきていた右足小指の痛みが激痛に。
「課長、ちょっと靴脱いでマッサージしていいですか?」
靴下を脱いで見ると、水泡が出来て腫れている。
「Kさん、テーピングする?」
「いや、いいです。揉んでだいぶ楽になりました。行きましょう。」
ところが走り出すとやはり激痛が。
「課長、やっぱりテーピングテープもらえますか?」
テーピングをして走ってみる。が、弱めに巻いたのに締め付け感がかえって痛みを増す。テーピングを除去する。
「Kさん、無理せず歩いていこう。歩いても制限時間内にゴール出来るよ。」
課長は復活し、声にも覇気がある。そう、ウルトラは駄目になったと思っても復活する時があるそうだ。さすが経験者は違う。
「課長、先に行ってください。」
「何言っとん?これから真っ暗の王子ヶ岳の山の中に向かうのに。2人で行こう。わしも膝にきて走れる状態じゃないんだ。無理して走って歩くことも出来ないようになるよりは、そのほうがいい。すでに走っても歩く程度の速度になってるんだし。」
ありがとう、課長。
「そうですね、マラソン高橋尚子小出監督からウォーキングする時間も指導されてたみたいです。歩く筋肉は走る筋肉と別物で、歩かないと鍛えられないんですって。それにいままで使ったところを休められますもんね。」
真っ暗闇の中、王子ヶ岳に向かう山村で、一部道を間違えてしまう。民家を尋ね、確認しながら行く。
王子ヶ岳に入ると風が強くなり、雨が降ってくる。
歩いていても、私の歩く速度が課長より断然遅く、課長は振り向いては、私がついてきていることを確認してくれる。
「課長、先に行ってください。これから走れば課長なら制限時間内にゴール出来ます。」
「何言ってる?わしは51km地点でほんとにやめようと思ってたんだ。Kさんがいたからここまでこれたんだよ。Kさんがやめてくれないから、わしもやめられなかった。一緒に行こう。」
「課長、私がここでリタイアしたら、先に行ってくれますか。」
「行かん。とにかく、90km地点の王子ヶ岳山頂まで行こう。それから考えよう。」
王子ヶ岳山中には、ホームレスらしき人もいて、別に危害を加えられるわけではないだろうが、正直、課長がいてくれて安心だった。
大会スタッフの中で一人、ゴールを目指すなら、最後まで面倒を見る、記録も残してあげる、と言ってくれた人がいた。
でも、制限時間をオーバーするならそれは完走ではないと自分の中では思っていた。
それに自己満足のためにスタッフに迷惑をかけるのは忍びなかった。
私達の後ろには男女2名がまだ走っていた。2人ともベテランのウルトラランナーだが、今回は視覚障害者のランナーのサポートとして序盤からゆっくり走っていた。その視覚障害の女性は80km地点でリタイアしたので自分達は完走を目指して走っていた。
その2人にも山頂付近で合流し、エールをもらい、先行される。
私は最終ランナーとなり、スタッフの車が後ろについた。
「何か飲む?」と車からスタッフが言ってくれたが、
「いえ、頂上できっとみんなが待ってくれてますから、今はいいです。」
と、足を引きずりながら、頂上に向かう。
意識は朦朧としている。
課長が引き返してきて、
「風と雨脚が強くなって危険ということで、90km地点で大会中止になった。山頂までもう少し。Kさん、頑張れ!」
スタッフからもエール。
車に乗せるとは言わない。気持ちを汲んでくれ、ゆっくり、ゆっくり、伴走してくれる。
王子ヶ岳山頂へ到着。16時間近くの時間が経過していた。
もはや、自分を情けないという気持ちも、責める気持ちもなかった。
宮島や皆生がDNFとなったときのように。
「よく頑張った。ようやった、ハニー。」
そう自分に言ってやった。
大会スタッフの一人の車に私達4人は乗せてもらい、ゴール会場に向かった。
他の3人はスタッフと談笑して元気だったが、私は意識朦朧と半分眠りについていた。
ゴール地点について、とても車を運転して帰れそうにないので、何とか車の中で異常に汗で酸っぱ臭いウェアを着替えて、そのまま車中泊する。
最近疲れが溜まっていたせいもあるだろうが、まさに廃人だった。
今朝自宅に帰って足をみると、右足小指の爪は剥がれてなくなっていた。両足とも赤く腫れあがっていた。
今まで、ミドルのトライアスロンやバイク自走往復でのフルマラソンをやったが、経験したことがない辛さだった。
それと同時に、世の中には、私の知らない、計り知れない辛さや困難がある世界があるのだということを想像した。
このウルトラマラソンを通して。
私は、性格上、物事を白黒はっきりさせないと気が済まない所があって、しかもそれを人に求めるところがある。
だが、そんな自分をとても小さく感じた。
H事務課長、本当に今回助けてもらいました。
転職したけど、課長のような方がおられる職場に就職できて幸せです。
ありがとう!児島半島
心から挑戦してよかったと思います。