愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

出て行くからこそ必要な「聖域」

なんどもなんどもブログで語っているが、スポーツが大の苦手で運動歴のない私が、どうしてトライアスロンを始めたのかということは、プロフィールを参照してほしい。
「運動神経」という神経は実際にはないが、人間の運動能力の発達にはゴールデンタイムというものがあり、6歳から13歳の間だという。
プロスポーツ選手になるには、この時期に能力を開発することが大切だといわれている。
まさに私はそうゆう意味では空白の期間だったなあ・・。
むしろオバさんになった今、自分を開発しようとしている。
でも、遅いとかもっと若いときからやっとけばなんて言わない。
今が大事なんだから。


トライアスロンは3種目あって、それぞれの練習時間を作り出すことは本当に大変だ。
限られた時間でも、種目を絞って他の種目の練習をいっさいしないということは出来ず、そうゆう意味では年中気が抜けない。
つまり、練習にオフシーズンというものがない。
3種目のうち1種目でさえ、まだまだ形になっていない私が言うのもなんなんだが、
トライアスリートというものは、一日にして成らず。
コツコツコツコツ練習を重ねることで、そしてこの前よりも今回、今回よりも次回、ほんの少しずつでも自分に負荷をかけながら、トレーニングを継続することで、自分の変化を実感出来、そして必ず目標が達成出来る、そう信じている。


そうは言っても、DNFを繰り返している私のことを、本当に大丈夫かと心配して、練習に誘ってくれたり、練習方法のアドバイスをくれたりする人がいる。
ほんとうにほんとうに感謝している。
しかしながらその助言も、日々の生活に忙殺され、1割も実行出来ていなかったりする。
だけどそれでも、私は状況が許される限り、トライアスロンを続けるつもりだし、それは自分のさだめのような気さえしている。


だけどなぜ、練習時間を確保するのが困難なくせに、3種目もあるトライアスロンというスポーツを選んだのか。
トライアスロンを始めて、「顔がキリッとしたね。」と言われる。
これは、かなりいい感じのほうの言われ方。
子どもの参観日に行くと「○ちゃんのお母さんって、すごく厳しくてきちんとした感じで恐そう。」と友達に言われるらしい。
それに対して娘は、
「ぜんぜんそんなことないよ〜。うちのママはすごくちゃらんぽらんな人だよ〜。」と答えるらしい。
そう、決して私は完璧主義ではない。
なんでもテキトーです。
大体3種目もあったら、どれかを、いや何かをある意味犠牲にしながらの練習しか出来ない。限られた時間では。
これは、人生とよく似ているのだ。
たいがい、やらなければいけないことは同時進行にあり、すべて期限というものがあり、出来れば納得がいくまで徹底的にやりたいんだけどそうもいかず、妥協もしながらある程度の形に仕上げることだけはしとく、みたいな。


私は、不器用な人間で、本来木を見て森を見ずの一点集中型。
だから職人みたいな仕事がよかったのかなと思うこともあったけど、今はそうは思わない。
割と集中力はあって、自分の世界に入るほうだけど、オタクとはまた違う。
自分の世界に入る、今の私にとってその手段がトライアスロンであるわけだけど、それは社会から自分を遮断することではなく、
社会に身を置くからこそ必要な「聖域」なのだ。
ビジネスマンの書斎、茶人の茶室みたいな。
しかしその空間は建物の必要はなく、自分の身体、心のなかにあるのだ。いつでも。


自分はもはや、夢見る少年少女というわけではない。
やりたいことを100%出来るなんて思ってない。
社会的信用を失うことなく、やるべき責任は果たしたい。
妥協しているようで、実は妥協していない人生を送りたい。
負けたくない。
弱気になんてならない。
表にあらわれることだけに左右されたくない。
いつでも、堂々と、生きていきたい。