愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

自分のゴールをめざして

皆生まで2ヶ月を切った。休日が所用で完全に潰れてしまうことがほとんどで、ロングライドが出来ない状況だが、短時間でなるべく負荷をかけた練習をして、当日に臨みたい。


トライアスロンを始めて今年で5年目だ。
といっても、年一程度の出場なんで、レース経験はたったの5回。
そのうちの2回は、ミドル・ロング各初挑戦でのDNF。
子どもの頃から体育大の苦手で身体能力ゼロ、3種目すべて素人。
そんな私が40歳目前にしてなぜトライアスロンというスポーツを始めたのかは、プロフィールで語らせてもらっているとおりだ。
実績もなく、タイムはビリから数えたほうが早い程度の私だが、
自分を変えてくれたトライアスロンに出逢えたことは本当に幸せなことだった。
だからこそ、トライアスロントライアスリートに対するなにかしらの誤解や先入観があれば、純粋に悲しく思う。
まず、トライアスロンにおいてのエントリーシステムが抽選や先着順になっている点において。競技の姿勢としてどうなのかと。
オープンウォーターの危険性を考えれば、大会管理上、同じエンデュランス系でもマラソンほどの募集人数を募ることは出来ない。さらにシーズン限定や大会数を考えれば定員に対しての希望人数が上回るのは仕方がないことだ。
もちろん、オリンピックや世界選手権などは成績による選考だ。
競技の性格上、バイクのドラフティングが認められない分、巻き込み事故は比較的起こりにくいため、自転車競技のようにきっちりとカテゴリー分けや予選レース、つまりレベルの標準化がされていないのだと思う。
このレベルの標準化がされていないことについて。


以前もブログで少し話させてもらったが、私はこの「門戸が広い」というところにこのスポーツの魅力を感じる。
ただ最近のスポーツブームに乗っての抽選や先着順の凄まじさはなんともいえないものがあるが・・。
トライアスロンの大会に出場すると、時々障がい者のアスリートがいる。
障がい者限定の大会ではなく、一般のアスリートに混ざり、バイクは片足ペダリングか義足をつけて、両足切断の方の場合、大腿四頭筋も使えず殿筋のみで、あのトライアスロンのタフなバイクコースを走りぬけ、さらにランでは切断部と義足のジョイント部分の痛みに耐えながら完走する。
トップアスリートの方も確かにかっこいいが、こうしたハンデを持ちながらも挑戦するアスリートの人達を見たとき、感銘を受ける。
人間、出来ないことなんてない、やらないだけだ、そう教えられるのだ。


ハンデとはなんだろう。
身体的なもの?年齢?性別?トレーニング時間のとれない環境?
いったんステージに立ったら、他人からどう見えようとも、自分にはなんのハンデもない
一人の選手で、他の選手と同様に、ただひたすらゴールを目指し進む。
毎年自分を克服するために。
トライアスロンは競技であって、競技だけではない要素があると思う。
例えばアイアンマン・ハワイでは、優勝者が最終フィニッシャーのゴールを待って祝福する。レースが最終ゴールに向かうほど、大会は盛り上がっていく。大抵最終フィニッシャーは高齢アスリートだ。
いろんな楽しみ方、取り組み方というものがそれぞれにあると思う。


トライアスロンというスポーツの原点は、我慢するとかこらえるとか踏ん張る、じゃないかと思う。
日常生活において、自分を絞り出すって体験はなかなかないと思う。
もちろん仕事に全力投球ってことも大事だけど、またそれとは違う。
社会に左右されない、自分の腹の底から出てくるエネルギーってもんを感じたい。
薄っぺらい見栄なんて通じない、自分にごまかし利かないがんばりがしたい。
もしトライアスロンの大会が選考だったら、自分だったら毎年落選だなぁ〜、レベル的に。
けどなんかの拍子に、もしあのスタートバトルに、灼熱に、長い長い苦しみに打ち勝ったら、ゴールを諦めなかったら、完走出来ちゃう可能性もあるんだな〜、才能も練習時間も不足するこんなヤツでも。


何日も続けて練習出来ないこともある。
自分の両親も夫の両親もすでに高齢だ。
この贅沢がいつまでどこまで出来るかは分からないが、
決着がつくまでは、やりたいと思う。


プロなら結果が出なくてもがんばったから許してとは決していえない。
一般アスリートでもステージに立つからには、準備を整えマナーを守り臨むべきだ。
どんな状況が与えられようとも、自分に嘘偽りないレースだけはしたい。
自分のゴールを価値あるものとするために。