愛の戦士キューピーハニーの日記Neo

生涯現役、生涯前向き、生涯楽しむ心、生涯自分磨き

トライアスリート織田信長

戦国大名の中で、この人はもう別格。
信長の凄さを一言で表現すると、その「カリスマ性」。
ふつうならよ、世の中そんなに甘くないから、上手く立ち回っておこう、なんて考えるのが人情でしょうよ、だけどね、信長に関しては一切それがない。
目的達成に向けた根回しや同盟に関しても、媚がない。
本能寺の変で果てるまで、この人は他人に媚びてないんですよ。(現時点では実力的に勝てないと判断した相手には計算したへつらいはしてます。)
背水の陣ですよ、背水の陣。そこまで、あえて自分の身を置けますか?自ら進んで。
それが出来るのは「絶対的な自信」があるからこそ。
これ後天的に努力して得られるものじゃなくて、生まれつきでしょうね。まさに天才。


秀吉にしても家康にしても「おっ、自分に運が向いてきた。ひょっとして天下は俺のものになるかも。」
って感じで途中から天下統一を視野に入れたと思います。
信長は違う。
最初から天下統一を目指していた。


少年時代の信長は、「大うつけ」(大馬鹿者)と呼ばれる荒くれ者。
着物の片袖を脱いで、腰にひょうたんをつけて(アクティブゆえにたぶん水分補給の)、友達の肩に寄りかかって、瓜を立ち食いしていた。いわゆる不良少年。
「織田の子せがれはなんじゃアレ。」周囲の笑いもの。
信長の突飛な行動を諌められない教育係のじいやは責任を取って自害。
しかしこれは、周囲を油断させるための、信長の計算された行動。
信長は「じい、なんで分からなかった。」と深く悲しみ、じいを弔って寺を建てている。


父親が死に、18歳で家督を継いだが、
「おやじなんで死にやがった!」
と、葬式の席で位牌に焼香を投げつけている。
まあとにかく大胆不敵。


信長が織田家当主となったこの時、
周りは強敵に囲まれていた。まさに背水の陣。若い信長の背にすべてかかった。
特に大ベテラン今川義元
今川2万5千の大軍に対し、織田軍たったの2千の桶狭間の戦い。まさに10分の1以上の戦力差。(20倍とも言われている)
これをどうやって打ち破ったかというと、奇襲攻撃、ゲリラ戦よ。
大雨で体を休めていた今川軍を不意打ちしたわけ。
織田軍の勢いに圧倒され、今川軍総崩れ。まさに奇跡だよね。
大将今川義元は首をはねられ、滅びる。油断あったわけだよね。
この勝利で信長の名がとどろくわけです。


それにしても何で織田軍は少ない兵で勝利したんでしょうか。
信長は前夜、出陣の意思を一切家臣に伝えていなかった。
軍略の話など一切せず、雑談話すばかり。
「はぁあ〜、眠いな。お前らも早く帰って休め。」と言う。
「殿、大丈夫かい???」と家臣は思った。
たぶん、今川のスパイ混入を疑っていたのだと思う。
夜明け方、信長は一番に起き出し、鎧兜を着け、立ったまま飯を食らいながら、
「おっりゃ、戦仕掛けるぞ!」
と馬に飛び乗って出陣。
「マジでござるか〜?」家臣あわてて追っかけるの図。


国内最強と謳われた武田の騎馬軍を制した長篠の戦い
新しいもの好きの信長。火縄銃(1000〜3000丁?)を準備する。
「100メートル先の敵に攻撃しかけられるんだもんね。弓矢なんて古い古い。」
そりゃなるべく敵に近づかずにこっちから攻撃しかけられるほうが有利ですよね。当たり前の話。
でも火縄銃は玉込めて火つけてで次の攻撃まで30秒かかった。
そこで信長考えた三段撃ち。
信長合図で砲撃、構えた次の列が前に出て砲撃、これを延々と繰り返し、武田の騎馬軍完敗。


先見性と行動力右に出るものなし。
天下布武
世の中武力で治める時代といっても、金がなければ戦は出来ず。
楽市楽座で自由に商売が出来るようにし、外国との貿易を盛んにし、キリスト教の布教にも寛容。景気UPに繋がったわけ。一説には信長は子どもの頃から悪ガキ共とつるんで町にくりだして遊んでいたというが、実は情勢を観察していたらしい。
政治力にしてもすごい。アイデアマンのベンチャー社長って感じ。
グイグイ進んで行くだけ、人の気持ちを汲む配慮には欠けたかな。
本能寺の変に繋がった。


で、その信長なんですが、
自ら最前線に立ち、絶体絶命の危機にも何度も遭っています。
やっぱりそんな大将がかっこいいですよね。
天下統一を成し遂げたいのなら、身の保身も考えるのが普通なんでしょうけどね。
なぜ最前線に立つ覇気を保てたのか。
信長は、子どもの頃からとにかく体を鍛えるのが好きでした。
①冬を除いたスリーシーズンは、毎日川で水泳。
冷たい川に飛び込むのは気合いりますよね〜。戦で川渡らなきゃなんないときあるし、泳げないとマズイですよね。
②朝晩は馬の遠乗り。
馬に乗るにはバランス力要りますからね、なおかつその上で武器持って戦うわけですから。乗馬は上手でないといけないですよね。モンゴル出身力士が強いのは、子どもの頃から乗馬に親しみ体幹が強いかららしい。
③野山を駆け回る。
強靭な足腰。今で言うトレイルラン。さらに戦に備え領土内の地形を十分に把握していたと思われます。



ねぇねぇ、
馬をバイクに例えると、これトライアスロンの3種目みたいじゃない?
そういえば信長の風貌を表す資料によると、細身ですよね。
もしかして今で言う細マッチョ?
まるでトライアスリートみたいじゃんかよ。