若さとは
サミュエル・ウルマン
《若さとは、人生の或る期間をいうのではなく心のひとつの持ち方をいうのだ。
揺るがない意志、豊かな想像力、抑えようのない情熱
臆する心を斥ける果敢な勇気、安易さを拒む飽くなき冒険心、そうした心の状態を言うのだ。
年輪を重ねただけでは人は老いない。理想を見失ったとき、初めて老いが訪れる。
歳月は皮膚にしわを刻むだけだが、情熱を失うとき、精神がしぼんでいく。
思い煩い・疑惑・自信の喪失・恐怖や失望こんなものこそ心意気を萎えさせ、
精神を塵芥と朽ちさせる長い年月のようなものだ。
七十歳であろうと十六歳であろうと、人は誰でも持ち得るのだ。
何をか、
驚異への素朴な愛慕心、夜空の星、そのきらめきにも似た美しい出来事や思想に対する憧憬、
事態に直面したときの毅然とした挑戦、未知に対する児童のような強い好奇心、
人生への興味と歓喜。
そうだ、
君は信念と共に若く、猜疑心と共に老いる。
君は自信と共に若く、恐怖心と共に老いる。
希望を見つめる限り若いが、失望したときに老いていく。
大自然から、人から、そして、創造主から語りかけられている。
「美と喜悦」「勇気と壮大さと力」そうしたメッセージに耳を傾けている限り君は若いのだ。
こうしたささやきがすべて聞こえなくなった時、そして心の奥まで悲嘆の雪が吹き込み、
冷たい皮肉で凍りついてしまった時、初めて人は全く老い込んでしまうのだ。》
この歳まで生きてみて、この詩の意味がわかる。
まさに、今後の人生に求めているもの。
若さには、肉体的なものと精神的なものがある。
まず、肉体的な若さについて。
職業柄、観察していると、実年齢より非常に若く見える人と、老け込んでいる人がいる。
特に糖尿病の患者さんは、60代で80代くらいに見える人がいる。
糖尿病は血糖値を下げるインスリンの働きがスムーズに行われないために、血管内に糖が増えてしまう病気だ。それにより全身の血管に病変をつくってしまう。血管の老化を動脈硬化と言う。若いとは細胞のすみずみまで新鮮なことだと思うが、血管の若さこそ、肉体的若さなんではと思う。
あと、脳細胞の働き。ラインの仕事や役場のお決まり仕事などのワンパターンな仕事をしている人は、30代くらいから認知症の症状が出る人があるという。生活パターン、つまり、思考のパターンを変えられない人は脳が老化しやすいってわけだ。
私は、患者さんを見ていて、お年寄りになったとき、ごはんの配膳をしてセットしてあげれば、自分で食べられたり、足腰は弱っても、ベットにポータブルトイレを横づけしてあげれば、自分で用をたすことが出来るくらいの日常生活が出来ていれば、その人らしい生活が送れているんではないかなあと思う。
100歳くらいで寝たきりにならずに、最期のギリギリまでそうゆうとこに保てている人がいる。
観察すると、入院生活中も、読書をしたり、習字をしたり、編み物をしていたりという人が多い。趣味があるんだよね。好奇心が。学ぶ姿勢が。
ほんと人によって、2、30年の歳の違いなんて関係ないと思えてくる。
歳なんて、自分で決めて、「歳取った、歳取った。」と言っているだけに過ぎない。
でも、現実的には、社会で活躍することを考えれば、老いに負けるということがある。引退をせまられることになる。
一日一日、確実に生命の月日は流れ、逆行することはない。
身体的能力、美貌など。
もちろん、自然の流れは衰えに向かうが、それに拮抗、いや対抗する手段を取ればいい。
体を鍛えるとか、擬似でも恋愛してフェロモンを出すとか。ある程度見た目も重視する。男性なら、いつまでも精悍なイメージ、女性なら、いつまでも艶っぽく瑞々しいイメージ。
とにかく周りのみんなと同じようにしていたら、肉体的には老け込む一途だな。
そして、重要なのは精神的若さ。心や魂は、自分しだいで、老うのではなく、成長し、磨きがかかり、洗練される。
それには、人生にくたびれないことが必要だ。気力がものを言う。
くたびれないために、気力を残すためには、自分にいつも「余裕」がなければならない。
その余裕を持たせるためには・・・やっぱり、努力だな。それと広い視野。楽しむ心をもたらす感受性と柔軟性。
やりたいことが一杯あって、新しいことにひるまず挑戦する、人生に貪欲な魂があれば、老け込む暇なんてないもんな。